東京地方裁判所 昭和41年(ワ)9039号 判決 1970年5月27日
小樽市奥沢二丁目六番地一三号
原告 源造こと 沢谷源蔵
<ほか一名>
原告両名訴訟代理人弁護士 田中和
同 西山鈴子
東京都中央区八重洲五丁目三番地
被告 鹿島建設株式会社
右代表者代表取締役 鹿島守之助
<ほか一名>
被告両名訴訟代理人弁護士 牧野賢称
同 山下卯吉
右当事者間の頭書事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
1 被告鹿島建設株式会社は、各原告に対し、それぞれ金一、八二七、八六三円および右金員のうち金一、六一五、四六八円五〇銭に対する昭和四一年一月二七日以降、残金二一二、三九四円五〇銭に対する本判決言渡の日以降、各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告らの、被告鹿島建設株式会社に対するその余の請求はいずれも棄却する。
3 原告らの、被告長野工業株式会社に対する請求はいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、原告らと被告鹿島建設株式会社との間においては、原告らに生じた費用の六分の一を被告鹿島建設株式会社の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告長野工業株式会社との間においては全部原告らの負担とする。
5 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、申立
一、原告両名
1 被告らは、連帯して原告らに対し各六、四七五、八三五円および右金員のうち各五、八四〇、八九八円に対する昭和四一年一月二七日以降、ならびに各六三四、九三七円に対する本訴判決言渡後、それぞれ支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
二、被告両名
1 原告らの請求はいずれも棄却する。
との判決を求める。
第二、主張
一、原告らの請求原因
1 当事者の地位
(一) 原告らは、長野県南安曇郡安曇村大白川の大白川鹿島建設ダム工事現場における事故により死亡した訴外沢谷峰弘(以下峰弘という。)の実父母であり、同人の唯一の相続人である。
(二) 被告鹿島建設株式会社(以下、被告鹿島建設という。)は、訴外東京電力株式会社より東京電力安曇発電所の建設工事を請負い、峰弘が受傷した現場附近一帯で、直接に又は下請業者を介して工事を遂行していたものである。
(三) 被告長野工業株式会社(以下、被告長野工業という。)は、被告鹿島建設の下請業者として前記工事に従事していたものであって、峰弘を死亡時まで雇傭していたものである。
3 事故の発生
峰弘は、昭和四一年一月二三日午前一一時三〇分頃、被告長野工業の従業員として前記工事現場におけるブルドーザー誘導作業に従事中、上方から落下してきた岩石にあたり頭部挫創、右下腿開放性複雑骨折、左下腿挫創、胸部及び腹部挫創の傷害を負い、松本市内の藤森病院にて治療を受けたが、出血多量のため衰弱が甚しく、同月二六日午後四時、同病院にて死亡した。
3 被告鹿島建設の責任
(一) 民法七一七条一項の責任
(1) 被告鹿島建設は、東京電力株式会社から安曇村大白川の、東京電力安曇発電所ならびにその付帯施設の建設予定地の引渡を受け、本件事故発生当時、同地において発電所諸施設の建設工事中であった。事故現場付近では、小高い山を削りとって平坦にするとともに、削りとった岩石をもって谷の低地を埋める作業をしていた。本件事故は、峰弘の頭上にあたる工事現場で削りとろうとしていた岩が、上方での発破作業によって地盤がゆるんだため、落下し、ブルドーザーの誘導作業中の峰弘に当っておきたものであるが、このような工事現場で発破作業をするには、落石防止設備を当然備えていなければならないのに、これを欠いている瑕疵があったものである。従って、被告鹿島建設は、土地の工作物である発電所関係施設の占有者として、この瑕疵から生じた峰弘の損害について賠償の責任がある。
(2) 仮りに本件岩石剥落が発破作業によるものではないとすれば、岩石剥落部分の上方に工事関係者用の道路があり、そこを通過するトラックやブルドーザー等の振動によって地盤にゆるみが生じた結果、岩石が剥落したものである。このような道路付近の工事現場には、同様に、落石除けの防護柵の設置が必要であり、これがなかったことは土地工作物の瑕疵に当るので、責任を免れない。
(3) 仮りに、本件岩石剥落が、全く自然に発生したものとしても、本件事故現場は地盤がきわめてもろく、勾配も六、七〇度あったので、崩落の危険性のあることは予知できたはずである。したがって、発電所建設工事現場としては、防護柵の設置あるいは岩面に対するコンクリートの吹付け等の防護措置を必要としたものであるところ、これをしなかった瑕疵が存在したものである。
(二) 民法七一五条一項の責任
(1) 仮に、(一)の主張が理由ないとしても、本件事故の発生した工事現場では、被告鹿島建設の安曇出張所長および現場監督が同被告直属の従業員ならびに下請会社の従業員を指揮監督して工事を遂行していた。本件事故は、峰弘の上方で岩石の除去作業がなされていた際に、除去しようとしていた岩石が急に落下したため生じたものであるが、責任者である前記安曇出張所長および現場監督には、このような岩石の除去作業を行う際には、下方で作業中の従業員を退避させるなり、金網を張るなどの保安上の措置を講じ、事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるにこれを怠った右安曇出張所長および現場監督の本件工事現場における指揮監督上の過失が、本件事故を招いたものであるところ、両名の所為は、被告鹿島建設の事業の執行につきなされたものであるから、同被告は、被用者の過失により発生した本件事故による損害を賠償する責任がある。
(2) かりに岩石が自然剥落したものであるとしても、前記のように地盤が極めてもろく剥落の危険が大きいことは十分予見しえたはずであるから、工事の指揮監督にあたる者は、防護柵を設置したり、コンクリートの吹付を命じるなどして、岩石の不意の剥落による事故が発生しないように工事現場の安全を保持する義務があるにもかかわらず、安曇出張所長はこれらの設備を施すことなく峰弘に作業をさせた過失があるから、これにより生じた本件事故につき使用者である被告鹿島建設には損害賠償の責任がある。
4 被告長野工業の責任
被告長野工業の当時の代表取締役長野芳明は、峰弘の上方で行なわれていた除石作業を監督していたが、昼食の合図をきき、作業現場の岩石が風化して崩れやすくなっているところに加えて除去作業中であるため一層落下の危険性の大きいことを認識し得たにも拘わらず、漫然と作業を中止し、下方の峰弘らに危険の警告を発することもせずに現場を離れたことにより本件事故を発生せしめた過失がある。また、長野芳明は、落石予防措置の必要性を検討し、鹿島建設の安全管理責任者等に進言する等の義務があるにも拘らず、本件岩盤の危険性を看過した点においても監督上の過失がある。右不法行為は、被告長野工業の執行の過程でなされたものであるから、被告長野工業は、本件事故に基く損害を賠償すべき義務を負う。
5 害損
(一) 得べかりし利益の喪失
(1) 峰弘は、死亡当時一八才二月の健康な男子であったから、少くとも六〇才までは働きえたはずである。峰弘は、昭和三八年三月、中学校を卒業後、自家の畑二町六反を一人で耕作していたほか、農閑期である一一月頃から翌年三月頃までの五ヶ月間は建設業関係の労務者として出稼ぎに行き、祖母と二人の妹を扶養していた。
(2) 農閑期の出稼ぎ労働による得べかりし利益の喪失額は、一日の労賃を一、五二四円、一ヶ月中の稼働日数を二七日、農閑期出稼期間を五ヶ月として計算すると、年間(農閑期)賃金の合計二〇五、七四〇円から必要経費として三割を控除した一四四、〇一八円となる。
(3) 農業利益の逸失額は、畑作地帯の反当年収益が平均二七、二四九円、峰弘の耕作面積が二町六反であるから、年間総収益は七〇八、四七四円となる。農家における一人当りの年間生計費は七四、〇一一円であるから、峰弘の家族四人のうち、峰弘の出稼ぎ中の生計費五ヶ月分を除いた家族年間生計費は二六五、二六五円となる。また、峰弘の負担する公租公課は年間三一、六二五円である。したがって峰弘の農業による純収益は四一一、五八四円となる。なお、農業収入においては家族労働の寄与も考慮に入れなければならないが、本件算定の基礎となった統計は一九六二年のものであり、その後のインフレを考慮して、家族労働の寄与は斟酌すべきでない。
(4) したがって、峰弘の年間逸失利益総額は五五五、六〇二円であるところ、峰弘が一九才から六〇才に達するまでの四一年間分を一時に支払を受けるため、年五分の中間利益を一年毎に差引計算して現在の価額を求めると一二、二〇五、七九七円となる。このうち、既に支払を受けた労災保険の遺族に対する一時補償金は一、五二四、〇〇〇円であるから、これを控除した純逸失利益は一〇、六八一、七九七円である。
(5) 原告らは、峰弘の相続人として、これを各二分の一づつ相続した。
(二) 葬祭費、交通費等の支出
原告らは、峰弘の負傷、死亡に伴い、看護費用、葬式費用、労災保険金受領手続費用等として、別紙(一)のとおり、合計一六八、二四一円を支出し、同額の損害を受けた。このうち、労災保険より既に下付された葬祭費九一、四四〇円を差引き、残七六、八〇一円の損害がある。
(三) 慰藉料
原告らは、父母に対して敬愛の情深かった峰弘を失い、多大の精神的苦痛を蒙った。これを慰藉するため、金銭に評価すれば、原告らは、それぞれ一、〇〇〇、〇〇〇円に相当する精神的損害を蒙っている。
(四) 弁護士費用等
(1) 被告らは、原告らの損害賠償請求につき何らの誠意も示さなかったので、原告らはやむなく、昭和四一年九月三日、本件損害賠償請求の訴の提起を田中和、西山鈴子両弁護士に委任した。
その際、原告らは、両弁護士との間に、その手数料として、請求金額の一割に当る一、一七七、四二四円を本訴判決言渡の日または和解成立の日に支払う旨の契約をした。
(2) また、原告らは、本件訴訟提起にあたり、訴外沢谷栄作に田中弁護士らとの連絡や交渉を依頼した。沢谷栄作は、その交通費等の経費として別紙(ニ)のとおり、合計一五、六五〇円の出捐をしたので、昭和四一年八月一六日頃、原告らに対しその償還を請求した。
(3) したがって、原告らは、その二分の一づつの償還債務を負っているところ、これは被告らの本件不法行為によって蒙った損害である。
6 よって、原告らは、それぞれ、被告両名に対し連帯して、(イ)得べかりし利益喪失損害の内金四、八四〇、八九八円、(ロ)葬祭費等三八、四〇〇円、(ハ)慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円、(ニ)弁護士費用等五九六、五三七円、右小計六、四七五、八三五円ならびに遅延損害金として(イ)および(ハ)の各合計五、八四〇、八九八円に対する昭和四一年一月二七日以降完済まで、その余の各合計六三四、九三七円に対する本訴判決言渡日以降完済まで、それぞれ年五分の割合による金員の支払を求める。
二、請求原因事実に対する被告らの答弁
1 請求原因1の事実はすべて認める。
2 同2の事実中、事故発生が午前一一時三〇分頃であった点を除き、その余の事実はすべて認める。事故は午前一一時五〇分頃発生した。
3(一) 同3、(一)、(1)の事実中、被告鹿島建設が発電所諸施設の工事中であったことは認めるが、その余の事実は争う。同3、(一)、(2)の事実中、岩石剥落部分の上方三五メートルの地点に工事関係者用の通路のあることは認めるが、その余の事実はすべて争う。
同3、(一)、(3)の事実はすべて争う。
本件事故当時、事故現場およびその上方では何ら作業は行われていなかったので、本件事故は岩石の自然剥落によるものである。事故当日の発破作業は、本件岩石剥落個所の斜め下方、直線距離六五メートル(水平六〇メートル、垂直二四メートル)の地点で実施されたもので、地形上も距離的にも岩石剥落に影響はない。本件岩石剥落は外部から察知することのできない岩石内部のクラックに基因するものであり、不可抗力という外はない。また、工事関係者用通路をトラックの通行の用に供したことはなく、ブルドーザーは昭和四〇年一一月一日から同年一二月一五日迄の間に約一五日間六〇回位通行したことがあるが、本件岩石剥落と因果関係はない。本件事故現場の勾配は、四、五〇度程度であった。
(二) 同3、(二)の(1)、(2)の各事実はいずれも争う。
本件事故当時、前記地点で行なわれた発破は午前一一時四五分に終了し、掘削作業員はすべて昼休みとして作業現場を引揚げていた。ブルドーザーの作業は掘削作業員より早く仕事を始めるため、午前一一時五〇分頃重機進入路を進行中、落石があったものであり、峰弘の上方では何ら作業はおこなわれていなかった。
また、本件工事の総工費は五七億円であるが、そのうち安全施設費として七、〇〇〇万円を予算に計上していたのみならず、実際には本件事故当時(工事進行度四五%)、既に一億二、一〇〇万円を投入して万全を期していた。本件以外には着工後一度も落石崩落はなかったので、本件事故は不可抗力という外ない。
4 同4の事実は、いずれも否認する。
峰弘の上方で岩石の除去作業が行なわれたことはない。
5 (一)、同5、(一)の事実中、農閑期における出稼ぎ労働の一日当りの労賃が一、五二四円であること、その必要経費が総収入の三割にあたること、農家における一人当りの年間生計費は七四、〇一一円に相当すること、峰弘の負担する公租公課は三一、六二五円であること、原告らが労災保険の遺族に対する一時補償金として、一、五二四、〇〇〇円を受領したこと、以上の各事実は認めるが、その余の事実はいずれも争う。農閑期労働の一ヶ月稼働日数は平均二〇日であり、その出稼期間は平均三ヶ月二二日である。峰弘が耕作していた青森県上北郡横浜町鶏沢における畑作反当年収益は六、〇〇〇円であり、峰弘の耕作面積は一町二反九畝にすぎない。峰弘の家庭は、死亡当時、生活保護を受けていたのであり、原告ら主張のような収益はありえない。また、ダム工事等の現場労務者は五〇才までしか働けず、かつ五〇才に近づくにつれ収入が漸減していく。
(二) 同5、(二)の事実中、原告らが労災保険から葬祭費九一、四四〇円を受領したことは認めるが、その余の事実は知らない。
(三) 同5、(三)の事実は争う。
原告沢谷源蔵は、昭和三一年北海道へ出稼に出て以来、家に戻らず、本件事故当時所在不明であった。原告沢谷あい子は、夫源蔵の家出後、幼児三人を老母の手に押付けて実家に帰っている。
原告両名は親としての義務を尽さず、子に対する愛情の片鱗もみられない。慰藉料請求は全く不当である。
(四) 同5、(四)の事実はすべて不知。
6 同6の事実は争う。
三、被告らの抗弁
本件事故現場は、岩石落下の高度差が約二五メートル、法面勾配が四、五〇度、道路幅が約六メートルであり、このような状況では、岩石は一直線には落下せず、法面を二、三転して道路のほぼ中央付近で停止する。したがって、作業員は、道路の谷側を法面を背にしないで道路の谷側を歩いておれば、事故を回避することができるのである。被告らは絶えず、労務者に「法面を背にして立たないこと」、「道路の山ぎわを歩かないこと」を教育していた。それにも拘わらず、峰弘は、法面を背にして、しかも山ぎわに立っていたために本件事故に遭ったのである。本件事故の発生には、峰弘にも過失があったのであるから、損害賠償の額を定めるについて斟酌されるべきである。
四、抗弁事実に対する原告らの答弁
抗弁事実中、岩石落下の高度差が約二五メートルであることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。法面勾配は六、七〇度ある。
第三、証拠関係≪省略≫
理由
一、当事者間に争いのない事実
1 当事者の地位
原告らは、長野県南安曇郡安曇村大白川の大白川鹿島建設ダム工事現場における事故により死亡した峰弘の実父母であり、同人の唯一の相続人である。被告鹿島建設は、訴外東京電力株式会社より東京電力安曇発電所の建築工事を請負い、峰弘が事故にあった現場附近一帯で、直接にまたは下請業者を介して工事を遂行していた。被告長野工業は、被告鹿島建設の下請業者として、前記工事に従事しており、峰弘を、その死亡時まで雇傭していた。
2 事故の発生
峰弘は、昭和四一年一月二三日午前一一時すぎ(何分頃であったかについては争いがある。)、被告長野工業の従業員として、前記工事現場におけるブルドーザー誘導作業に従事中、上方から落下してきた岩石にあたり頭部挫創、右下腿開放性複雑骨折、左下腿挫創、胸部および腹部挫創の傷害を負い、松本市内の藤森病院で治療を受けたが、出血多量のため衰弱が甚しく、同月二六日午後四時頃、同病院にて死亡した。
以上の各事実については当事者間に争いがない。
二、事故発生状況
1 ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。この認定に反する証拠はない。
(一) 本件事故現場は、長野県南安曇郡安曇村大白川の梓川と奈川の合流点にある東京電力安曇発電所の奈川渡ダム建設地左岸部分にあたり、アーチ式ダムの左岸堰堤掘削工事が行なわれていた。
(二) 本件事故当日、沢谷峰弘は、午前七時より、鹿島建設重機工員岩崎光成の運転する三〇トン級ブルドーザーの誘導作業に従事していた。ブルドーザー誘導員の作業内容は、オペレーターの目の届かない所を注意し、路肩の点検等を行って、転落等の事故が発生しないようにブルドーザーを誘導することであった。岩崎らはダム本体左岸掘削工事に従事していたが、同工事現場の作業員は、午前一一時三〇分、発破開始の合図のサイレンとともに左岸見張所まで退避した。そして同四五分、岩崎光成と峰弘は、発破終了の合図のサイレンとともに、再び見張所から建設工事用通路を通り、前記工事現場へ向った。
(三) その途中、岩崎は、ブルドーザーの排土板を下ろして通路の凹凸を整地すべく、ブルドーザーを停止させて二、三度前進後退を繰り返した。峰弘は、ブルドーザーの左前方一〇メートル位の位置で誘導していたが、ブルドーザーの停止とともに立ち止って、岩崎の作業を見守っていた。その時、建設工事用通路の上方約二五メートルの地点(別紙図面①点)の岩石が剥落し、右剥落部分より約一〇メートル落下して法面に接触後、岩石は数個に分れて反転落下して斜面を背にして道路上(別紙図面②点)に立っていた峰弘に背後から激突した。そのため、峰弘は、谷側に向ってうつぶせに倒れ、頭部等に岩石が当った。
2 ≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 前示1の建設工事用通路は、巾員約五メートルの、ブルドーザー等の重機類ならびに作業員の通行のために開設されている道路で、左岸ダム本体掘削工事が上方より河床に向って順次進行するに従って、上方より「く」の字型に屈曲を重ねて、山の斜面を削って作られている。本件事故現場附近の通路は、山側を数メートル削り、谷側に土砂を押しだして作られた簡易な道路である。
(二) 本件事故現場附近の通路は、標高九二五メートルの位置にあり、その山側は、平均すれば四五ないし五〇度の勾配の斜面であり、岩石剥落部分附近の斜面はこれよりも急な勾配をなしている。建設工事用通路の山側は、ダム本体掘削工事現場の上方を中心に斜面の掘削が進んでいた。本件事故現場の通路上方の斜面は、通路から六、七メートル位までは通路を開設するために削られているが、岩石剥落部分附近は、露頭岩であったため、周囲の樹木が伐採されたほかは掘削されていなかった。剥落部分の岩石は、風化花崗岩で、岩面には数多くのクラック(節理)をもち、斜面から一・五メートル位突き出ており、離れやすい角度でついている状態にあった。
(三) 峰弘が事故に遭った現場から五、六〇メートル下流寄りに、ダム本体掘削工事現場があり、事故当時は掘削のため、毎日平均三回位、定時に発破作業が行なわれていた。発破作業は、クローラードリルで岩盤に穴をあけ、そこにANFO火薬等約二〇〇キログラムの火薬を爆発させて岩盤の掘削を行うものであった。
(四) また、岩石剥落個所の上方、標高九八五メートル位のところには、巾員、五、六メートルの建設工事用通路がある。この通路は、上部掘削作業のため使われたもので、昭和四〇年七月ごろから一一月ごろまで、ブルドーザー等の重機類の進入路として頻ぱんに使用されていた。本件事故直後の昭和四一年一月二七日にも、右通路上にブルドーザー等が入っていた。
以上の各事実が認められる。原告らは、本件事故現場附近の斜面の勾配は六、七〇度であった旨、さらに剥落部分の岩盤は、露頭岩ではなく、掘削によって生じた断面である旨、それぞれ主張するけれども、前示の認定を覆すに足りる証拠はない。
3(一) 前示12の各認定事実を総合して検討すると、本件落石の原因は、剥落部分の岩盤が斜面から大きく突き出して離れやすい角度のついていた状態にあったうえ、数多くのクラックを有していたため、本件事故現場の気象条件、即ち、標高九五〇メートルの山岳地帯の寒冷地にあって、長年の気温の変化による岩石の膨張収縮のため、亀裂を生じ、そこへ雨水の浸透、結氷等により岩盤を破砕するに至る自然的な条件をも有していたこと、および本件事故現場附近では、周囲の立木を伐採して斜面の地肌を露出させ、かつ数十メートル下流においてはダム本体掘削工事が進行し、そのためある時期には上方の、ある時期には下方の建設工事用通路をブルドーザー等の建設用重機類がひんぱんに通過し、さらに掘削工事現場では毎日三、四回の発破作業が行なわれていたこと等のダム建設工事によるさまざまの人為的な力が及ぼす影響とが重なり、斜面から突出していた岩盤の一部が剥離し、崩落するに至ったものと推認される。
(二) 原告らは、本件落石の原因は、(1)発破作業による地盤のゆるみのためである、(2)仮にそうでないとしても、岩石剥落部分上方の工事用通路を通過するブルドーザー等の振動による地盤のゆるみのためである、と主張する。しかし、右に説示したとおり、これらの人為的な力が岩石崩落の一つの原因力となり、その意味では、やはりそれ相当の影響があったであろうことは首肯でき、その限りでは被告らが主張するように、ダム建設工事が本件岩石崩落と何ら関連がなかったとはいえないけれども、≪証拠省略≫に照らして検討すると、原告ら主張の事由が本件岩石崩落の直接の原因であったとはたやすく認めることができない。
三、安全管理体制
1 ≪証拠省略≫によれば、以下の事実が認められる。この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 被告鹿島建設は、本件ダム建設工事に際し、注文者である東京電力株式会社との間の契約において、当初安全施設費として七、〇〇〇万円の予算を計上し、また実際には昭和四一年の本件事故当時まで一億二、〇〇〇万円の安全施設費を投じた。本件ダム建設工事の総工事費は、当初約六五億円であったが、その後一〇〇億円ちかい金額に達している。鹿島建設安曇出張所では、ダム建設に従事する従業員を指揮、監督している各課の長、各下請会社の責任者等をもって安曇地区安全委員会を設置し、本件ダム建設工事施工に際しての安全管理上の諸問題を検討し、管理、施行していた。工事施工上、必要とされる安全施設は、各現場担当者等の要望をもとにして、出張所長がこれを設置するか否かを決定した。この場合、安全施設設置に多額の費用を要するときは事前に、あるいは事後的に、費用の負担等について注文者東京電力株式会社とも協議が行なわれていた。
(二) 被告鹿島建設は、昭和四〇年、本件ダム建設工事着工にあたり、建設予定地で予備掘削を実施し、掘削の度合によりどの程度の岩石崩落が起るかを調査した結果、掘削面については岩石崩落の危険性が予知されたので、掘削が進行するに従って順次、防護柵の設置、防護ネットによる掘削斜面の被覆、掘削面に対するコンクリート吹付、ロックボルトの施工等の安全施設をほどこす方針を決定していた。本件ダム左岸掘削工事現場附近においては、ダム本体掘削部分を中心に安全対策が実施された。すなわち、ダム本体掘削が左岸斜面の上部より河底の方向へ順次進行していくに従い、一四メートル毎にのり面の清掃を実施し、防護柵を設置し、さらに川底方向に掘削を進めていくという計画が立てられ、昭和四〇年一二月下旬ごろまでには、別紙図面に記載されているとおり、左岸斜面標高九五七メートル、同九四三メートル、同九三〇メートルの三個所に防護柵が設置された。しかし、右防護柵はいずれも掘削面の岩石崩落を考慮して設置されたものであるため、本件事故の岩石剥落部分の下方には防護柵が設置されていなかった。
(三) ダム本体左岸掘削工事の責任者である鹿島建設安曇出張所第一工事課長谷本守、ならびに右工事の直接の担当者上堀靖男らは、本件事故を惹起せしめた岩盤について、厳しい気象条件の下でも崩落せず、耐え残ってきた露頭岩であることから、全体が堅固な岩盤であると判断し、前示安全管理計画の樹立に際しても、格別の措置を予定せず、本件岩石剥落部分の下方に防護柵、ネット等の安全施設の設置の必要性を認めていなかった。
しかし、他方では、ダム本体左岸掘削工事現場に通ずる建設工事用通路の入口には、「落石注意」の掲示板が立てられ、その附近一帯における落石危険に対し注意が喚起せしめられており、現に本件事故現場附近においても夜間に一度落石が起きていた。
(四) もっとも、被告鹿島建設では、ダム建設工事に従事する作業員に対し安全手帳を交付して、労働災害防止のため遵守すべき事項を示すとともに、安全委員会において決定された注意事項も、その都度各現場の作業員に知らせるようにしていた。各作業現場においては、安全委員あるいは各現場監督者が作業員に対しさらに必要に応じて具体的な注意を与えてきた。ダム本体左岸掘削工事現場においても、被告鹿島建設の担当者、被告長野工業の責任者らは、作業員に対し落石に注意すること、殊に斜面を切り崩して設置された建設工事用通路を通行する際には、できるかぎり山側を避けて谷側を歩くように、山側の法面には常に注意するようにとの指示を与えていた。
四、被告らの責任
1 前示二、三の各認定事実にもとづいて、被告鹿島建設の本件事故による損害賠償責任の存否について判断する。
(一) 既に説示したとおり、本件岩石剥落部分の岩盤は、露頭岩であったとはいえ、クラック(節理)が多く、かつ法面勾配すなわち周囲の斜面から大きく突き出して離れ易い角度でついている状態にあったのであるから、標高九五〇メートルの北アルプス山系山岳地帯の厳しい気象条件の下においては、気温の変化、雨水浸透、結氷等の風化作用の影響をうけて自然のままの状態においても崩落の危険性を有していた。かかる状態の岩盤の近辺数十メートルの個所において、ダム建設工事のための掘削を開始し、二〇〇キロもの火薬を用いての発破作業、重量トラック、ブルドーザー等の往来が長期間ひんぱんに継続された場合、地盤の震動等の人為的な影響が積み重ねられて岩石崩落の危険性が一層増大していたことは、本件のような大規模土木工事現場で安全管理に携わる者ならば通常容易に推認しうるところであり、作業の進行に応じて常に危険性の増大の有無を精査するならば当然予知できた事柄である。被告鹿島建設がこの危険性を予知しうる可能性は存在したといわなければならない。被告らは不可抗力であったと主張するけれども、右に判断したとおり、その主張はとうてい採用できない。
(二) 被告鹿島建設は、このような岩盤の下に、斜面を六、七メートルの高さまで削り建設工事用通路を開設してダム本体掘削工事現場への作業員の通行、建設資材の運搬、ブルドーザー等の往来をなさしめ、かつ同通路の維持・管理をしていた。
このような建設工事用通路を開設し、維持・管理する場合、たとえ右通路が一般市民の往来に供される公道とは用途を異にし、直接ダム建設工事に従事する関係者のみを通行させる目的をもつものであっても、いやしくもこと人命の安否にかかわる危険性がある限り、安全施設には十分な配慮をなすべき義務があり、ましてダム建設工事につき高度の技術と長年の熟練を有する作業員ばかりでなく、出稼ぎ労務者のように単純労務に従事するにすぎない者をも作業に従事させる工事現場においては、右作業員、労務者の注意能力を基準として安全を確保するための、適切な安全施設が備えられなければならないことはいうまでもない。このことは、労働基準法五三条一項一号により、土木・建築等事業の使用者に選任を義務づけている安全管理者(労働安全衛生規則―以下、規則と略称する―一条一号)は、「作業場所又は作業方法に危険がある場合における応急措置又は適当な防止の措置」を行わなければならないこと(規則六条一号)、「作業場に通ずる場所及び作業場内には、労働者が使用するための安全通路を設け、且つこれを常時有効に保持しなければならない」こと(同八八条)、「崩壊の危険がある地盤の下で、労働者を作業させる場合には」、「適時安全な方法によって作業個所の上部を切り落し、安全な勾配を保持し、又は適当な土留を設けること」、これに「より難いときは、看視人を置き作業を監視させること」等の措置が使用者に義務づけられていること(同一一六条)に照らしても明らかである。
そうであれば、建設工事用通路上方の斜面において岩石の剥離等崩落の危険性がある場合においては、のり面の清掃を実施するとともに、かかる危険な岩石を存置しておく場合は、下方の危険個所についてロックボルトによる岩石の補強、コンクリート吹付による剥落の防止、防護ネットあるいは防護柵の設置による道路上への落石の防止等の適当な安全施設を設置することが法規上も必要とされることは言うまでもない。
(三) しかるに、被告鹿島建設は、ダム本体左岸掘削工事を実施するにあたり、右工事現場と本件建設工事用通路の安全施設として、掘削した斜面部分については、上方より一四メートル掘削するごとに順次のり面清掃の実施と防護柵の設置を行っているが、本件岩石剥落部分については、それが露頭岩であるとの理由で何ら安全施設を施さなかった。このことは、前示(一)のとおり、岩石崩落の危険性があり、かつこれを予知する可能性も存在したことを考えれば、ダム建設工事に従事する多数の作業員、労務者が常時往来することが予定されている建設工事用通路として、作業員、労務者の安全を確保するための施設、すくなくとも防護柵程度のものは設置すべきであったのにこれが欠けていたという点において、その設置、保存につき瑕疵が存在したものといわなければならない。
(四) そうすれば、被告鹿島建設が、東京電力安曇発電所建設工事請負人として、本件建設工事用通路を占有したことは弁論の全趣旨により認められ、また右通路が「土地の工作物」に該当し、前示の瑕疵によって、落石のため、作業中の峰弘が死亡するに至ったことは明らかであるから、原告のその余の主張について判断するまでもなく、被告鹿島建設は、本件事故による損害賠償責任を負担しなければならない。
2 原告らは、被告長野工業に対しても、当時の代表者長野芳明が本件岩盤の危険性を看過し、被告鹿島建設に対する進言を怠ったこと、また落石の危険を警告せずに、漫然作業を中止して現場を離れたことに過失があると主張する。
しかしながら、≪証拠省略≫によれば、安全施設は、被告鹿島建設において定めた計画にもとづいて設置されたものが多く、また必要に応じて計画外に安全施設を設置する場合も、その決定は専ら被告鹿島建設安曇出張所長の権限とされていたこと、また掘削工事施工も被告鹿島建設の工事第一課長または現場監督の指揮、命令により遂行されていて、被告長野工業としては、右の指揮に従って、その従業員である労務者を作業に従事させていたものであること、以上の各事実が認められる。
被告長野工業は、右のような被告鹿島建設との下請負関係にたち、前示三の認定事実のとおり被告鹿島建設の予備掘削を含めた事前調査にもとづいて立てられた安全計画にもとづいて一定の安全施設が設置されている環境の下で、従業員に対し、一般的に落石に関する注意を指示してきたことは明らかである。かかる場合、被告長野工業には、本件岩盤の崩落の危険性を予知し、かつその結果を回避するために、本件事故現場に安全施設を設置するように被告鹿島建設に申し入れなかったとしても、それが直ちに峰弘ないし原告らに対する関係で不法行為となるべき義務の過怠とはいえない。したがって、被告長野工業がこれらの措置に出ず、事故直前に、峰弘に対し警告を発せずに作業を中止し、昼休みに入ったことをもってただちに同被告の過失ということもできない。
よって、その余の点を判断するまでもなく、原告らの、被告長野工業に対する主張は採用できない。
3 次に被告らの過失相殺の主張について判断する。
被告らは、沢谷峰弘が、「法面を背にして立たないこと」、「道路の山ぎわを歩かないこと」との注意に反して、本件事故現場において法面を背に、道路の山側に立っていたために、本件事故に遭ったものであると主張する。そして、前示二、1の認定事実のとおり沢谷峰弘は、岩崎が運転するブルドーザーの誘導員として、その左前方約一〇メートルのところでブルドーザーを誘導しつつ進行していたが、岩崎が道路の整地のためブルドーザーを一旦停止させたうえ、前後に運転し始めたため、法面を背にしてブルドーザーの動きを注視していたものであることが窺われる。
このように、峰弘は、ブルドーザーの誘導員として、誘導作業に従事中、ブルドーザーの動きを注視している間に法面を背に道路の山側に立つようになっていたものであることを考慮すれば被告ら主張の事実のみをもってしては、峰弘死亡による本件損害賠償を定めるにつき斟酌すべき過失ということはできない。よって、被告のこの主張も採用できない。
四、損害額
1 峰弘の得べかりし利益の喪失
(一) ≪証拠省略≫によれば、沢谷峰弘は、死亡当時一八才二月の健康な男子であり、今後約五一年の余命があるところ、少くとも六〇才に至るまで四一年間以上の稼働期間を有していたこと、峰弘は昭和三八年三月に中学校を卒業後、父沢谷源造所有の畑、田を耕作していたほか、農閑期には土木、建設関係の労務者として働いていたこと、峰弘の父母である原告両名は、家庭の不和のため双方とも自宅を出てしまったため、峰弘は祖母と二名の妹を扶養していたこと、以上の各事実が認められる。
(二) 峰弘の農閑期における出稼ぎ労働の一日当りの労賃が一、五二四円に相当することについては当事者間に争いがなく、また、≪証拠省略≫によれば、峰弘が農閑期に労働に従事した被告鹿島建設安曇出張所ダム建設工事現場における一月平均の稼働日数は二〇日であり、同所における農業従事者の農閑期就労期間はおおよそ四ヶ月間であることが認められこれを覆すに足りる証拠はない。これによれば、峰弘の死亡当時の年間農閑期収入は一二一、九二〇円となり、この間の必要経費が収入の三割であることについては争いがないのであるから、年間農閑期収入の逸失利益は八五、三四四円となる。
(三) ≪証拠省略≫によれば、峰弘死亡当時、峰弘が耕作していた面積は二町六反を超え、一部水田もあったが畑作を中心としており、当時のわが国における畑作地帯の農業経営による反当年間収益は平均二七、二四九円に達するものと見られるところから、峰弘の耕作していた畑等からは年間七〇八、四七四円の収益が得られる計算になる。しかし、他方≪証拠省略≫によれば、峰弘一家は当時貧困家庭として生活保護を受けていたことが認められるから、この点を考慮すれば峰弘の農業経営による年間収益は右の額の三分の二の四七二、三一六円と認めるのが相当である。そして、農家における一人当りの年間生計費が七四、〇一一円であることについては争いがなく、峰弘の家庭には四人の生計費を見込むべきところ、峰弘の出稼期間四ヶ月分を控除すると、家族の年間生計費は二七一、三七三円(円未満切捨)となる。また、峰弘が負担すべき公租公課が年間三一、六二五円であることには当事者間に争いがない。したがって、峰弘の耕作していた畑、田の農業純収益は、一六九、三一八円となる。
ところで≪証拠省略≫によれば、沢谷峰弘は右畑、田を耕作するについて、叔父にあたる秋田悦年の助力を得るほか、農繁期には近隣の人の手伝を受け、また祖母、妹らの家族労働にも支えられていた。したがって、右農業収益について峰弘の寄与分は、おおよそ、その三分の二に相当するものと認めるのが相当である。この点に関する原告らの主張は採用できない。そうすると、峰弘の農業労働による逸失利益は年間一一二、八七八円(円未満切捨)となる。
(四) そうすると、峰弘の年間逸失利益総額は一九八、二二二円となるが、峰弘の六〇才に達するまで少くとも四一年間分の逸失利益を、一時に支払を受けるため年五分の割合による中間利益を一年毎に差引計算して、現在の価額を求めると、四、三五四、九五九円(円未満切捨)となる。(198,222円×21.97=4,354,937円)
このうち、原告らは労災保険の遺族に対する一時補償金として一、五二四、〇〇〇円の支払を受けたことについては争いがないのであるから、これを控除した純逸失利益は二、八三〇、九三七円である。原告両名は峰弘の相続人としてこれを各二分の一づつ相続したことは弁論の全趣旨により認めうるところであるから、原告らは、それぞれ一、四一五、四六八円五〇銭の逸失利益損害賠償請求権を相続した。
2 葬祭費、交通費等の支出
≪証拠省略≫によれば、原告両名は、峰弘の死亡のため、その看護費用、葬式費用その他の交通費用として沢谷栄作その他の親族が別紙(1)表記載のとおり合計一六八、二四一円の立替支出をなし、これを返済する債務を負っていることが認められる。右原告らの負担は、峰弘死亡による葬式費等の費用として社会的に相当な金額であるから、本件事故と相当因果関係に立つ損害であると認める。したがって、原告らが労災保険の葬祭費九一、四四〇円を受領したことについては争いがないのであるから、原告両名は、これを控除した残額の七六、八〇一円の二分の一の三八、四〇〇円五〇銭をそれぞれ損害賠償として請求できる。
3 慰藉料
≪証拠省略≫によれば、原告両名は、長男峰弘の死亡により相当の精神的苦痛を蒙ったこと、しかし、原告らは家族と折合が悪く、昭和三二年頃までに相前後して家出し、以後、父母や峰弘を含む三人の子の生活をさしてかえりみず、家族の生活はもっぱら峰弘の肩にかかる状態であり、原告源蔵は峰弘の葬儀費用さえ支出していないことが認められる。してみると、原告らの右精神的苦痛を慰藉する金額としては本件事故の態様、原告らの右のような家族関係等諸般の事情を総合して、斟酌し、それぞれ二〇〇、〇〇〇円をもって相当と認める。
4 弁護士費用等
≪証拠省略≫によれば、原告らは、被告鹿島建設が任意に損害賠償義務の履行をしなかったので、本訴を提起することなく余儀なくされたこと、そのため原告らは、昭和四一年八月にそれぞれ田中和、西山鈴子両弁護士に本訴の提起を委任したこと、その際、原告らは両弁護士との間に弁護士費用について報酬として勝訴金額の少くとも一割を本件判決言渡の日に支払う旨約したこと、また原告らは本件訴訟提起のため訴外沢谷栄作に田中弁護士等との連絡を委任していたところ、沢谷栄作は別紙(2)表のとおり一五、六五〇円の出捐をなしたため原告らはそれぞれの二分の一である七、八二五円の返還債務を負ったこと以上の各事実が認められる。そうとすれば、原告らは、峰弘の逸失利益の損害、葬式費用等、慰藉料、沢谷栄作に対する費用の償還等の損害によりそれぞれ合計一六六一、六九四円の損害賠償請求権を有することになるから、結局その一割に当る一六六、一六九円(円未満切捨)の弁護士費用を負担する。これも原告らが本件不法行為により蒙った相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。
五、結論
以上のとおりであるから、原告両名は、被告鹿島建設に対しそれぞれ、本件事故による損害賠償請求権として、峰弘の逸失利益の損害一、四一五、四六八円五〇銭、葬祭費等三八四〇〇円五〇銭、慰藉料二〇〇、〇〇〇円、委任費用七、八二五円、弁護士費用一六六、一七九円の合計一、八二七、八六三円および損害発生後の遅延損害金として、逸失利益慰藉料の各合計一、六一五、四六八円五〇銭については峰弘死亡の日の翌日である昭和四一年一月二七日以降その余の各二一二、三九四円五〇銭については損害発生後であることが明らかな本件判決言渡日以降、それぞれ年五分の割合による金員の支払を求めることができる。したがって、原告らの本訴請求は、被告鹿島建設に対しては右の限度において理由があるから認容し、その余の請求は棄却し、被告長野工業に対しては理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条、九二条、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺忠之 裁判官 山本和敏 裁判官大内捷司は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 渡辺忠之)
<以下省略>